Road to Quality of Life 03 鉄鋼原料の専門商社、一世紀。産業の礎を担う情熱を語り合う

ミャグマルジャバ ゾルボー
ミャグマルジャバ ゾルボー 鉄鋼原料事業部 名古屋支店
コークス・銑鉄グループリーダー
部長
渡邊 裕介
渡邊 裕介 鉄鋼原料事業部 名古屋支店
支店長
冨井 洋平
冨井 洋平 鉄鋼原料事業部 名古屋支店
合金鉄グループリーダー
部長

「苦しい時こそ、社会のため・人のために、できることをすべてやる」
日本のものづくりを支えることへ、熱い思いを交えてきた同期の3人が、
これからの鉄鋼原料事業にかける情熱を語り合いました。

私たちの暮らしに身近な「絶対に壊れてはならない製品」。その原料を届け、日本のものづくりを支える仕事

鉄鋼原料は私たちの暮らしの基盤

渡邊:我々が扱っているのは、工業製品や鋳物製品のもとになる鉄鋼原料です。鉄や銅、合金、シリコン、スクラップ、コークス(石炭)などがありまして、自動車製造に必要な材料、エンジンのターボ、マンホール、エレベーターやETC、風力発電の羽の軸など、私たちの暮らしになくてはならない製品の原料なんです。

ゾルボー:鉄鋼原料はいわば、「絶対に壊れてはならない製品に必要な原料」であり、過酷な環境にも耐え、最も負荷のかかる製品を形成するものです。つまり、生活に欠かせないものづくりの現場へ原料を供給し、日本のものづくりの根幹を支えることが、我々の仕事といえます。

冨井:もっと身近なものでいうと、フライパンや御飯釜などの原料でもあるんですよ。

私たちの生活になくてはならない鉄鋼原料を届ける仕事。同期として共に歩んできた3人が、鉄鋼原料事業にかける思いを語り合った(左:渡邊 裕介 / 右上:冨井 洋平 / 右下:ミャグマルジャバ ゾルボー)

鉄鋼原料を届ける。ニーズをつなぐ仕事

渡邊:そうですね。鉄鋼原料は生活のさまざまなところに使われているので、これからもなくならないでしょう。ただし、技術が進むにつれてアルミなどに代替する製品も開発されています。市場シェアの掌握は以前ほど簡単ではないので、我々はお客さまのニーズを読み、必要な時に必要な原料を適切にお届けする安定供給を保ちながら、グローバルシェアも視野に入れていくことが大切ですね。

冨井:そのためには、協力してくださる仕入先や卸先との関係構築が何より欠かせないところです。日ごとに変動する相場や情勢を見て、お客さまのニーズを鑑みながら適した価格で提供すること。仕入先や卸先と安定的な流通を保つこと。このどちらも常日頃からの関係づくりによって大きく左右されることですからね。

世代を超えて地域企業を支えたい。高沢産業の誇り

商社の役目|地域企業の将来を考えるということ

ゾルボー:私たちの仕事は、ルートセールスをしながらお客さまのニーズがどこにあるかを読み解き、商材を販売することです。そのためには先ほど冨井が言っていたように、お客さまの事業に末長く併走し、信頼関係を築いていくことが欠かせないと思っています。

冨井:私たちはメーカーではないですからね。だけど、商社だからこそやるべきことがあります。たとえば、企業が事業継承されようとも、先代の社長さまの考えや経営の展望を、私たちはお聞きしてきているわけですよね。なので、その会社が描く将来を考えながら的確に商品を届けることや、メーカーとの関係を橋渡しすることは、私たち商社の役割です。世代を超えて信頼関係を引き継いでいく“商社の人となり”を大切にしています。

渡邊:冨井はとくにお客さまからの信頼が厚く、「冨井さんに任せているから大丈夫」と言ってくださるお客さまが多く、私も驚かされます。その姿は我々が先輩たちから学んできたことでもあります。
高沢産業には、お客さまと家族のような関わりを重ね、深いお付き合いをしながら信頼を築いていくことに重きをおいた企業文化があります。それは、地域の企業が時代のあおりを受けようとも事業継承を経ても、世代を超えて企業の将来を支え続けようとする使命感があるからです。

ゾルボー:海外から来た私にとっては、このような思いこそが「日本のものづくりの根幹を担おうとする日本企業の力強さである」と感銘を受けました。

渡邊:商社という仕事のおもしろさでもありますよね。地域密着という言葉もありますが、長いお付き合いの中で、お客さまが求めるニーズに対して正しい目利きや判断を積み上げていくのです。もしかしたら、商品の価格を下げることやサービスを効率化するなどの企業努力をされている同業他社の方からしたら、甘い考えに思われるかもしれません。それでも我々は、顔の見える信頼関係を築くことができてさえいれば、企業が苦しい時にこそ、支えることもできると考えています。むしろその信頼関係がなければ、本当の意味でその企業の将来を支えていることにはならないわけです。

明治から大正へ、高沢産業が地を固めるに至るまでには、いくつもの苦節があった。そんな頃に初代の高澤石衛を支えてくれた人の写真が本社に飾られているのは、“支え合いの象徴”であり、社員一人ひとりがその企業文化を大切にしていることも3人は語った

ライフラインを守り、社会の力になる

冨井:そういえばゾルボーは、これまでの仕事で、強くやりがいを感じたエピソードを話していたね。

ゾルボー:2011年3月11日の東日本大震災は、大きな転機となりました。震災の困難の真っ只中、当時私が担当していた千葉県にある食品製造会社さまが、被災地に食料品を届けたいと考えたんです。とても正義感のある会社さまで。でも、配送しようにもトラックの燃料がなかったんですね。自衛隊や医療関連の施設への供給が優先されていたので、ガソリンスタンドに長蛇の列ができるほどでした。そこで燃料を扱う課にいた私のところに、相談が来まして。
私もその思いに心を打たれて、どうにか被災地に食品を届けたいと強く思いました。そこでお取引先さまや各部署の目上の方々に協力を募ると、当時私はまだ20代でしたが、みなさん快く賛同して動いてくださったんですね。そして、軽油の分配量や供給時期の調整に協力してくださったおかげで、食品製造会社さまへの燃料確保をかなえることができました。まさにお客さまや仕入先や卸先と日々重ねてきた対話が、いかに実を結ぶことになるのかを体現させられた仕事でした。
後日、食品製造会社の方がお礼に来てくださった時には「いろんな人と協働することの大切さや社会のため・人のために働くことの意義」をあらためて感じました。私の一生に残る体験です。

鉄鋼原料の専⾨商社として、⾼品質・安定供給を保たなければならない

「できない」と言わない商社の誇り

渡邊:ゾルボーのエピソードにあったように、私たちが扱うさまざまな原料は、非常事態に仕入れられなくなることが度々あります。しかし、我々はそういう時にこそ、安定して供給できる状態をどうにかして保たなければならないのです。どんな時でも安定して供給する。それが我々のやりがいでもあります。他社になくても、「我々なら持っていけますよ」と決めて、必ず供給するように心がけています。

ゾルボー:供給を切らさないようにするのが、一番大変だけど、それが何よりの要です。

渡邊:高品質・安定供給が我々の責任。それでも世界情勢などによって、安定供給しようにも仕入れに苦戦することも多々あります。新型コロナウイルスでも一時期そうでしたが、船が遅れて商材が入ってこないことも。

必要な時にこそ、必要な鉄鋼原料を届けること。そのためにできることを自ら探して、日々お客さまをはじめ、仕入先や卸先との関係を大切にし、お客さまと直接話す機会を欠かさない

冨井:そうですね。だから国内だけではなく世界の情勢も鑑みなければ、貢献できない。広い視野を持っていないとだめですよね。逆にいえば、知識を蓄えた分だけ結果になる。それがやりがいにつながっています。

ゾルボー:それぞれが社員でありながらも、経営者並みに先を読む力が必要ですよね。

渡邊:時代を読みながらも、絶対にやり抜く。我々は先輩たちに「どんな事態でも、絶対にできますと言って帰ってこい」と叱咤されたこと、何度もありました。

冨井:そうですね。困っている時こそ、どう行動するかを考え抜いて、絶対にやるんです。

ゾルボー:ピンチはチャンス。仕事をいただいたらどんな状況でもやる、それが当然のことです。

必要な時にこそ、必要な鉄鋼原料を届けること。そのためにできることを自ら探して、日々お客さまをはじめ、仕入先や卸先との関係を大切にし、お客さまと直接話す機会を欠かさない

苦しい時こそ支え合う。社員とも、地域とも

やりたいことに挑み、事業にする。先輩からの教訓と3人の切磋琢磨

渡邊:3人でこれまでを振り返るいい機会をいただけて、今日は本当によかったです。高沢産業でのこれまでを振り返ると、2人はどうですか?

ゾルボー:いい仕事と人に恵まれたと感じます。学生だった頃の私は、日本と外国を結ぶ貿易関係の仕事に従事したいと考えて就職先を探していました。というのも私はモンゴル人なので、モンゴルと日本の架け橋になれたらと考えていたんです。そんな時に「モンゴルに輸出する仕事がある」という高沢産業の採用情報をたまたま見つけたんですよね。

渡邊:ゾルボーは、高沢産業が貿易する会社だと思って、採用面接に行ったんですよね。

ゾルボー:当時は、鋳物という言葉すら知らなかったですから。それでも上司の方々から「やりたいことは何でも挑戦してみなさい」と背中を押されて、「中古車を海外に輸出したい」と伝えたら、本当にやらせてもらうことができました。やってみたいことに挑み、事業にする。先輩たちもそう教えられてきたそうです。

渡邊:今ではそれぞれ家庭もあり機会が少なくなりましたが、仕事の帰りに「一杯やって行こうか」とお酒を飲み交わしては、夜まで仕事の話をしていたこと、たくさんありましたね。

冨井:通勤の電車の中でも日夜、仕事にかける互いの世界観や展望を話し合っていましたね。同じ境遇でわかり合える仲間がいるということには、助けられてきました。

ゾルボー:同じような意識を共有し続けられるように、ズレが生じている時には「僕はこう思うけど」と意見を伝えたり、相談し合ったりしながらやってきました。互いに言いたいことをしっかりと言い合える仲を信頼し合って、切磋琢磨できたことは大きいです。

渡邊:同じ方を向いて仕事をして、常に向かっている方向を確かめ合う感覚を大事にしてきました。同期の2人には、本当に尊敬できるところがあり、励みになることがたくさんありましたね。

ゾルボー:三者三様でバランスを取りながら支え合っている感じです。ところで、今撮影している写真ってもらえますか? 3人でこんなふうに写真を撮ったこと、ないんです。

冨井:いい記念になりそうですね。

渡邊:そうですね。

鉄鋼原料事業の未来。3人が思うこれからの高沢産業

ゾルボー:かつて“JAPAN as No.1”という時代があり、私が幼い頃からモンゴルでも、日本製のものは品質が高いと評判でした。今では生産拠点を国内から海外へ移している企業もほとんどで、競合も現れ、コストの兼ね合いやグローバルマーケットなど、競争の激しい業界になっているのが現状です。それでも高い生産技術を必要とする場合にはやはり、日本のものづくりが最後の砦として求められ、世界からの信頼も再熱しています。
日本の国民性、勤勉さ、生真面目さ、精密さを活かして、この業界に限らず、世界一のものづくりが世界へ広がるために、私たちにできることをすべて挑戦していきたいです。

冨井:そうですね。どんな時代でも、どんな過酷な環境下でも、将来を先読みして、関わるすべての人に貢献していくことで、日本のものづくりをサポートしていきたいです。人となりを磨くことも、製品を知ることも、時代を読むことも、日々の積み重ねが生きがいでもありますね。

渡邊:鋳物業界をはじめ、我々の鉄鋼原料事業は、日本のものづくりを支える基盤だと思い、仕事に打ち込んできました。これからも、我々が日本のものづくりの下支えを担っているという責任を胸に、高品質・安定供給を当然に、困った時こそ企業の力になれるように尽力していきたいですね。

プロフィール

ミャグマルジャバ ゾルボー 鉄鋼原料事業部 名古屋支店
コークス・銑鉄グループリーダー
部長
1985(昭和60)年生まれ、モンゴル・ウラーンバートル出身。2001年に日本の高校へ留学を経て、2004年に中京学院大学へ入学。2008(平成20)年3月に卒業し、同年4月に高沢産業へ入社
渡邊 裕介(わたなべ ゆうすけ) 鉄鋼原料事業部 名古屋支店
支店長
1982(昭和57)年生まれ、愛知県名古屋市出身。高校卒業後、オーストラリアへ留学。2007(平成19)年9月にセントラルクイーンズランド大学経営学部を卒業し、翌年4月に高沢産業入社
冨井 洋平(とみい ようへい) 鉄鋼原料事業部 名古屋支店
合金鉄グループリーダー
部長
1985(昭和60)年生まれ、埼玉県熊谷市出身。2008(平成20)年3月に青山学院大学経営学部を卒業し、同年4月に高沢産業に入社

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